荒川海彦の戦歴年表 ディンギー編 

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こちらはディンギー編……まずは少年期。

小学校3年生夏、初めて自分でヨットを操る

小学校3年生秋、なごやジュニアヨットクラブ発足、入団テスト合格。愛知池でセイリング練習が始まる。

冬、父親は不足気味のクラブ艇に見かねて自作で木製OPを建造。

艇名スナメリ ※成体の体長は1.5-2m、体重は50-60kgであり、現生のクジラ類では最も小型の種の一つとされる。

小学校4年生GW、初めてのヨットレース諏訪湖で開催された「全国少年少女ヨットレース」に参加。

当時の記憶では強風レースで全然走れずにRET連発まさかのBクラスビリ!かなりへこむ。。

初めていろんなクラブのジュニアセイラーと一緒にレースをし衝撃を受ける。ラチェットブロックがついてないのは僕の船だけだった。

その時地上波で放送されたレースのビデオや大谷たかをのシングルハンダーズバイブルを擦り切れるぐらいみて勉強。

小学校4年生秋に、レーシングOP(WINNER)を買ってもらう。

翌年、小学校5年生、同じく全国少年少女ヨットレースにAクラスで参加。

軽風シリーズで軽量だった僕には有利なシリーズとなりなんと優勝!リベンジを果たす!

映画ロッキーを実体験。この一連のプロセスにはまりヨットレースにさらにのめり込む。

以降は全国各地のレースへ参加。

地方レースでは優勝できるものの全国クラスでの優勝というのはなかなかできなかった。

小学校6年生、琵琶湖で開催された全日本選手権、初のトップフィニッシュ!

初めての選考会の権利を得る。

1992年リザルト艇種
アジア選手権 (THI)優勝OPTI
全日本選手権準優勝OPTI
ヨーロッパ選手権 (DEN)36位OPTI
ナショナルチーム選考会6位OPTI

荒川海彦、13歳。中1。
「ナショナルチーム選考レース」中盤、フィニッシュライン上でのケースでコミッティボートからプロテストされ失格となる。ペナルティ履行していれば目標の5位以内に入れたのに自滅。ワールドの権利獲得ならず。

自分の甘さを痛感。。かなりへこむ。。

タイ、パタヤで開催された「アジア選手権」で優勝!海外レース初タイトル。
ホテルのバイキングのチキンカレーとホットケーキがおいしかった。

1993年リザルト艇種
全日本選手権準優勝OPTI
World (ESP)47位OPTI
アジア選手権 (JPN)6位OPTI
ナショナルチーム選考会準優勝OPTI

OP全日本選手権二年連続の二位。。勝てず。。

1994年リザルト艇種
全日本選手権3位FJ
国民体育大会3位シーホッパーSR

中学校卒業後、単身茨城の土浦日大高校へ進学し毎日ヨット漬け生活が始まる。

「国体」には一人乗りのシーホッパ―SRで参加、3位となる。

1995年リザルト艇種
全日本選手権3位FJ
全国高校総体7位FJ
関東高校総体優勝FJ
World (AUS)参加420

「420世界選手権」にクルーとして参加、フリーマントルドクターの洗礼を受ける。

「関東高校総体」ではオールトップで優勝。

1996年リザルト艇種
全日本選手権準優勝FJ
全国高校総体 3位FJ
関東高校総体準優勝FJ

目標にしていた「インターハイ」は山中湖というなんとも不安定なところで開催。
最終レースブラックフラッグにひっかかり無念の3位に終わる。

1997年リザルト艇種
全日本選手権11位470
関東選手権準優勝470
ジュニアWorld (FRA)56位470

日本大学に進学、470チームで「春インカレ」からレースに出させてもらった。
初めてのインカレ予選レースで上マークオーバーセール。。やっちまった。。もうおろしだ。。

と思ってましたが次のレースもチャンスを頂き、ダントツでトップフィニッシュ!
決勝レースもチャンスが回ってきて何とか上位フィニッシュ。「インカレ」のなんとも言えない重圧な雰囲気を味わう。

個人では「470ジュニアワールド」に参加。一点差でゴールドに残れず。。

1998年リザルト艇種
全日本学生ヨット個人選手権5位470
関東学生ヨット個人選手権優勝470
ナショナルチーム選考レース14位470
国民体育大会 (470級)15位470

レギュラー、「関東インカレ個人戦」優勝。

1999年リザルト艇種
全日本選手権9位470
全日本学生ヨット個人選手権優勝470
関東学生ヨット個人選手権優勝470
関東選手権6位470
ユニバーシアード (ESP)13位470

「関東インカレ個人戦」2連覇。「全日本インカレ個人戦」優勝。
「ユニバーシアード」では同世代のトップチームとしのぎを削る。

2000年リザルト艇種
全日本学生ヨット個人選手権優勝470
関東学生ヨット個人選手権優勝470
全日本選手権6位470

大学4年生。
「関東インカレ個人戦」3連覇、「全日本インカレ個人戦」2連覇。

実は「全日本インカレ個人戦」 の予選、「関東インカレ個人戦」で720度回転報告書を出し忘れて失格! となっており、危うく予選敗退するところでしたがなんとか這い上がって「関東インカレ個人戦」3連覇できました。

これはおそらく、前人未踏?

2001年リザルト艇種
全日本選手権6位470
関東選手権準優勝470
国民体育大会6位470

大学卒業後「アテネ五輪」を目指す。
が、就職氷河期で実業団チームに入れず、スポンサーを募りながら470五輪キャンペーンを開始。パフォーマンスセイルクラフトジャパン(株)でアルバイトを開始、レーザーの積層、フィッティングなど学ぶ。

2002年リザルト艇種
全日本選手権5位470
関東選手権準優勝470

資金難のため環境が整わず、五輪キャンペーンを断念。。

多くの方にサポートしていただいたお礼の旅が始まる。
その中でも以前からお世話になっていた〈祖国丸〉(J/24)の霜山オーナーにお声がけいただきキールボートの世界へ。ここから先は、キールボート編»こちらで詳しく。

2014年リザルト艇種
全日本選手権7位Moth

ディンギー編としては……。
サンフランシスコでのフォイリングしてるAC艇をみてフォイリングの魅力にはまり、フォイリングMothを購入。筋肉痛の日々が始まる。

2015年リザルト艇種
World (AUS)135位Moth
全日本選手権6位Moth

翌(2016)年に葉山開催予定の「Mothワールド」のためにもと思い、無理してオーストラリアへ修行。やはり痛い目に遭う。

2016年リザルト艇種
World30位Moth
全日本選手権4位Moth
サマーレガッタ3位Moth
ウィンターレガッタ4位Moth

そして葉山開催の「MothWorld」。それなりに自分で考えて挑んだもので、成績的には納得いかない部分もあったが大成功に終わる。

2018年リザルト艇種
全日本選手権9位Moth

乗る暇がなく、レースに出ればトラブルが出る始末。。
さて、このあとどうなるか。

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