先日行われた全日本インカレ、母校日大が14年ぶりに見事王座奪還を果たした。
近年、度重なる大学内の問題で世間を騒がせたことは記憶に新しい。
そんな日大だったがコンプライアンスを整えて地道に成長し伝統の日大ヨット部にとって悲願達成となりました。
松本監督をはじめOBOG会、コーチ、スタッフ、父母の皆さまの力が結集したすばらしい勝利でした。

卒業から四半世紀が経過しどこにいてもトラッキングやYouTubeでのライブ映像などが充実しその場にいなくてもレース状況がわかる便利な世の中になりましたね。
がしかし、
最終日を前に逆転されたということで江ノ島に応援に行くことに。
朝、選手たちはみんないい顔をしていて安心しました。これは勝てるなと、対してライバル校は緊張した面持ちでプレッシャーを感じていたようです。
丘番しながら観戦し、悲願の奪還!
これはカッコよく最後に揃って帰ってくるなと期待をよそに淡々と戻ってきましたw
14年ぶりだから仕方ないw

監督、コーチ、選手の胴上げ!
Great job!おめでとう!!

主将の苦労は主将にしかわからない
今、当時の熱い記憶が蘇り、自分が一年生の時に総合優勝した時を振り返ってみた
【大学1年生】1996年
3月下旬
逗子駅に19時集合して先輩の車に乗り合宿所へ向かった。
合宿所に到着、荷物を置いて2階にある上級生の部屋で部員全員とご対面。
なんだかわかんない大きな声の挨拶が多くて雰囲気に圧倒された。
OP時代からの顔見知りの先輩が多くて面識はありましたが、やけにオッサンだなぁと感じた記憶が残っていますw
その後下に降りてきて2年生からいろいろな合宿の流れや決まりや注意事項などなど教えてもらいました。
最後にその日のうちに1年生の中で470チーム、スナイプチームに別けるということで
いざ決めようとすると全員470チームに手を挙げたw
あたりを見渡し三澤が一番はじめにスナイプチームに、
で関さん(当時主将五輪メダリスト)が長身の木村をクルーで試してみたいということで木村は470チームへ
その2人は早々に決まりましたがその他がなかなか決まらない。
ジャンケンで決めようかと言うタイミングで上から松本さん(現監督)が降りてきて「来年、海彦は470で使いたいから470で」と安堵したことを今でも覚えている。
ジャンケンの末、紙ちゃんが470チーム
テツと笹井はインターハイや国体でガン飛ばし合うほど仲が悪かったけど(今となっては考えられないぐらいw)
なんとかなるでしょということでスナイプチームへと決まり
女子チームはコヤッコと松ちゃんふたりとも470に決まった。
系統は石橋さん系統で
「統制」という1年生まとめ役を拝命した。
※系統:各艇4年から1年の縦割チーム
「1年 470統制 荒川海彦」
さっそく合宿生活がはじまりました、まあ辛い日々でしたが目標があったので辛くも楽しい日々でした。
特に合宿とそうでない時のONとOFFがしっかりしていたのでOFFの時なんかは先輩とつるんでカラオケ、ダーツ、ビリヤード、ボーリングなど学生生活を楽しみ、帰れなくて先輩の部屋に泊めてもらったりと楽しかったのを覚えています。
まあ南林間の下宿所(当時監督の渡辺整市氏の前の家)だったこともありOBOGや他大学もよく集まりよく呑んで熱く語っていました。
春合宿
1年生の仕事をこなしながらインカレ予選前に2回ぐらいヘルムスマンで練習させてもらえる機会があった、470に初めて乗ったわけではなかったけど(高校ヨット部引退後、佃コーチに頼んで江の島でコソ練していた)当時高校生はFJという種類の一回り小さいヨットで470の船の大きさ、セイルのパワー感などに戸惑いながらでバウ先までの感覚に新鮮さを感じながら憧れの日大の中で練習できたことはすごく刺激になりました。
海の上では「先輩後輩関係ない」「実力主義でいく」ということだったので海の上では遠慮なくそれはもう当時の実力を遺憾なく発揮しようとたかが練習でしたが全力投球でした。
迎えた春インカレ予選
ところ狭しと森戸の浜いっぱいに船が並び今では考えられないぐらい大学数がありました。
当時の予選はレギュラーメンバーは初日だけ出て2日目以降は補欠メンバーにチャンスを与えて経験をつませることが多かった。
そこでなんと
朝の配艇でいきなり「3677 荒川、藤井」(1、4年コンビ)
へ??
え?(系統違う船なのに)
一瞬タイミングが遅れましたが戸惑いながらも大きな声で「おっしゃ〜ッッス!」
いよいよインカレデビュー!(予選だけど)
当時、犬の散歩で通りがかった?ヘッドコーチの飛内さんから「海彦、すごいなぁ、1年生の春からインカレ出たやつは初めてみたぞ」とプレッシャーをかけられw
デビュー戦は今でも鮮明に覚えています。
相模湾の南西の風14〜18ノットで絶好のコンディション。
アウターサイドから飛び出してほぼトップ目で激走。もう死ぬほど集中してうねりに合わせてメントリ/ステアリングしてました。
がしかし。。。。
痛恨のオーバーセイルをしてしまい。。。
上マークを20 番ぐらいで回航しフィニッシュは7番。。。やっちまった。。終わった。。。
もうチャンスはないと思った。
関さんのところへ行くと、「納得いかねーべ、もう一本行ってきな」と天の声。
よっしゃー
と意気込んで次のレースへチャレンジ
前のレースと同じような展開でもう死ぬほど集中してメントリしてクルーの藤井さんも負けじと起こしてガンガン走りまくりました。
結果はぶっちぎりの1位!でナイスなデビュー戦でした。
迎えた決勝も1レースだけ出ました。
3番艇の石橋さんが調子悪くどこの大学か忘れたけど470の得点が危うかったから海の上で急遽乗員変更。
1、2年コンビ
北東の軽風
上マーク、1・2・4ぐらいで回航
いいじゃん、いいじゃん。
まさにOP時代のチームレースを憧れの関さん、松本さんとともに戦っている感じ。
なんなく周回して最後のダウンウィンド。
なんだかボートスピードが遅い。どんどん追いつかれて焦り最後の下マークの攻防で順位を落としてフィニッシュは7番まで落ちた。
もう愕然と落ち込んだ。。。
あれ、ラダーに藻が引っかかってる!
しかも大量に!
マジかよーー
こんなに引っかかってたら普通気づくよな。。。
ダブルショック。
でも結果としては470、スナイプ、総合で勝ちましたが。
なんとも甘酸っぱいインカレデビューとなりました。
春が終わると次は470ジュニアワールドに行く事が決まって関東個人戦とバッティングするため全日本個人戦には出れないことになった。
フランスのカーンで開かれたワールドでは1点差でゴールドフリートに残れずにノコノコと帰国。
その頃、自分の目標順位に達しなければボーズという「自発的な」儀式が流行っていた。
(人生初めての五厘刈り)w
その後関東470ではOBのゴリさんと組み、470というボートを教わり学生最上位の準優勝でメキメキと力をつけて行った。
秋インカレでは3番艇の石橋さんが会心の成績で私の出番はなかった。
唯一予選1レースだけ紙ちゃんと1年生コンビで出たがスタートで失敗してうまくカムバックできずに20番台で終わった。
南林間では相変わらずOBの小林さん(現PSJ社長)、木原さん、都築さん、早川さんと酒の席になれば「俺たちの代は」とインカレのドラマを聞かされたw
そして迎えた
福岡の小戸で行われた全日本インカレ
出発の朝、小林さんに「頑張れよ!みんなによろしく!」と言われた時に「たぶん自分出れないっす」とボソッと言ったら、「バカ、団体戦は出れなくてもみんなの気持ちが大切なんだよ、上級生が苦しくなったら下級生が盛り上げろ」「うちの470チームの4番艇は強豪校のエース艇と互角だぞ」
と言われてふと何か吹っ切れた。
当時、470チームの4番艇(補欠)という立場での初の全日本インカレを前にワクワクドキドキしながら小戸に向かった。
どこの大学も事前合宿から気合いが入っていた。特に福大、同志社に関しては他を圧倒していた。何がって声出しが「ウェイウェイ」半端じゃないw
海の上でも「ウェイウェイ」陸の上でも「ウェイウェイ」もう何言ってるかわかんないw
衝撃の全日本インカレを肌で感じた。
だけど、初日の朝に意味がわかった。
整列して行進しながらバースまで校歌を元気よく歌いながら入ってくるのを観た時に声が大きいと確かにその瞬間だけ観ちゃって声が小さくなり会場がその大学の雰囲気になるのだ。
ははー気合い入ってんなー
OP上がりの先輩方は揃ってクールに自分たちのやるべきことをこなす。全然ブレてない。
頼もしい先輩方、これはいける。
始まってみると小戸の風は非常に不安定でどのチームもスコアメイクに苦労していたが日大は470、スナイプと常にトップ3以内の戦いが続いていた。
中盤戦でスナイプチームが調子を崩した時に「海彦行け!」と言われた。さらに当時スナイプコーチの袈裟丸さんからは「スカットミサイルかましてこい」ドキ、「いやスナイプ乗ったことないです」不安がよぎる。
次の瞬間「海彦はスナイプで選手登録してないので出れないです」よかった〜と思いっきり安心w
それが良かったのかいなか次のレースはなんと1、2、3フィニッシュでスナイプ優勝に大手をかけた。
最終日、完全優勝は目前でしたが痛恨の470がリコールとなり3位まで落ちてしまったが当時2年ぶりの総合優勝、スナイプ優勝に輝いた!
その夜、祝勝会で3番艇の石橋さんから「海彦が最大のライバルでここまで必死にやってきた、海彦がいてくれてよかった、ありがとう」と言われた時に完全に涙腺が崩壊し号泣した。
自身のセイリング人生で勝って涙したのはあとにも先にもこの全日本インカレのみだ。今でもあの時を思い出すと胸が熱くなる。
その後、関東インカレ個人戦3連覇、全日本インカレ個人戦2連覇しても涙がでることはなかった。
私にとって今回の全日本インカレは「何か忘れたものを取り戻した感覚だ」
当時よく自分の心の中で言い聞かせていたあの言葉「ぜってー負けねえ」を思い出した。

左から小林さん、同期のコヤッコ

